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「食」に向き合う
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    あけましておめでとうございます

    本年もよろしくお願いいたします

     

    この年末年始は、その臨場感もないままに、いつの間にか過ぎ去った感じ。

    ただ一つ違ったのは、おせち料理をはじめとし、出来合いのものではなく、手料理をテーブルに並べ続けたこと。

    そんなこと、家族のだれも気付いていないだろうが、いつもの年末年始なら、注文したおせちが年末に届き、伊達巻や焼き豚など、切ればそのまま食べられるもので冷蔵庫はいっぱい。正月に皆が揃えば、出前のお寿司を囲んでいるところだ。

     

    かといって、家族団らんの時間を削ってキッチンに立っていたわけでもなく、31日まで、いつもと変わらず、好きなところへ出かけ、好きなことをし、年末から「逃げ恥」の再放送をがっつり鑑賞し、疲れたわぁと、半日もこたつでゴロゴロしていたり、いつもと変わらず、いや、いつも以上にゆっくり過ごした。結局、掃除はする気にならず、これはできなかったのではなく、しなかったのだけれど。

     

    昨年の後半、自宅以外でお料理をする機会が多くあり、食に関する情報に触れ、市販の加工品に保存料や着色料など添加物が多く含まれていることに意識が向く。もちろんそれまでだって薄々は気づいていたけれど、自分で作るのは面倒くさい、手間がかかる、時間を取られる、と、便利で手軽なものに頼り切っていたのだ。元来、お料理が好きではないという要素が大きく関係しているだけれど、これも、だれかと一緒にお料理すると、案外楽しかったり、面倒くさいと思っていたもの、家では作れないと思っていたものが、ちょっとした工夫や便利な道具を活用して簡単にできるということを教えてもらったりして、ハードルがずいぶんと低くなった。

     

    家を出ていた息子たちも帰省した2日の夜。テーブルを囲んだ総勢10名。春巻き、唐揚、エビフライとがっつり揚げ物のオンパレードに加え、チーズタルトのデザートまで手料理でもてなす。息子たちの大好きな伊達巻も、いつもの紀○のあまあまではなく、手作りのあっさり味を、長男が喜んで食べたので、ほかの息子たちも「甘くない」ことに違和感を持たずに食べてくれたし。

     

    急にお料理好きになったりはしないけれど、作れるものは作る。

    原材料に不安も抱きながら出来合いのお惣菜を買うよりも、そりゃ、見た目も味も、万人受けはしないかもしれないけれど、安心安全な食を家族に届けたい。

     

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    posted by: ayabeyumi | 日々のくらしのこと | 10:34 | comments(0) | - |
    書くことが好き
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      子どものころから書くことが好き。どうしてそうなったのかはわからないけれど、生活作文も読書感想文も、まったく苦ではなかったし、いくらでも書けるので、書き終わってから、既定の枚数に収めるために、編集することも、小学生のころから自然にやっていた。本を読むことが好きな子は作文がうまいというけれど、それは語彙が豊富というだけじゃないかな?と思う。難しい言葉が並ぶ生活作文に、一瞬、「すごいな」と思っても、それがおもしろいとは限らないのはそういうことかと。

       

      文章を書くとき、読む人をイメージする。

       

      というのは大切なこと。

       

      ブログとかSNSとか、だれでも好きに書いたものを発表できる時代になった。基本的には不特定多数の目に触れるものなだけに、読む人をイメージするのが難しい。こちらを立てればあちらが立たずというようなこともあるし、そんなつもりはなかったのに〜誰かを傷つけていることもあり、そのあたりを慮るとあたりさわりのない、核心をあえて避けて書いた、「書きたいこと」とは違うものになってしまって、私は何を言いたかったのだろう?という結果になることも少なくない。

       

      気軽に発信できるツールには、慎重に内容を検証する重さがあるのだ。

       

       

      今日、昔、別のアカウントで書いていたブログを、このブログに統合した。

      そのアカウントのメールアドレスは、今は使っていないもので、IDとパスワードを思い出せずに、しばらく放置していたものだが、なぜか、当てずっぽうで入れたそれが、バチっと合致してログインできてしまったので、また忘れてしまわないうちに、エクスポートしておいた。

       

      ちょろっと読み返してみると、自分に厳しく、人にも厳しかったころの私がいた。書いてあることは、今読み返しても筋が通っているけれど、なにかと他人に求めることが多すぎる。

       

      私は私、人は人。

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      posted by: ayabeyumi | このブログについて | 17:41 | comments(0) | - |
      必要な栄養をきちんと摂るということ
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        7月に105歳で長い生涯を閉じられた日野原重明さんの存在を知ったのは、お医者様としてではなかった。

         

        何年か前、公民館のパソコン講座の生徒さんから、自分たちのグループで教えてくれないか?とお声掛けをいただいた、そのグループが、「新老人の会」はりま支部の世話人をされている方のグループだったという不思議なご縁。グループの説明を受けているときに、日野原先生のお名前を初めて伺い、それ以来、新老人の会のFacebookページをフォローしつつ、毎朝届けられる日野原先生のメッセージに、姿勢を正してきた。

         

        再び、そのお名前を耳にしたのがお亡くなりになったときというのは残念なことだけれど、延命治療を望まないとご自分で決め、食が細くなり、必要な栄養を食事から摂ることが難しくなっても、口から摂ることにこだわり、選んだサプリメント(栄養補助食品)が、まだまだ日野原先生の半分も生きていない私が、同じように栄養不足を補う目的で選んだものと同じだったと知り、勝手に不思議なご縁を感じ、なにか「お墨付き」をいただいたような気分になった。(かといって、百まで生きたいとは思っていないけれど)

         

        もともと若いころから栄養のことを考えた食事を摂っていたわけではなく、お肉を食べれば野菜も食べなきゃ!くらいのいいかげんなレベル。子どもを持っても、基本的には変わらなかったので、私のからだは常に栄養不足だったに違いないが、若いうちはなにしろ量を食べることができたので、バランスは悪くても、大きく体調を崩すようなことはなかった。

         

        年を重ねるにつれ、好きなものでもたくさんは食べられなくなる。40代に入ってからが顕著になったように思うが、Facebookでつながっている皆さんはご承知の、片頭痛を頻発したり、ちょこちょこ体調を崩して寝込むようになったのは40代半ばから。更年期ということも、まったくないとは言えないが、「栄養不足」というのは、ひそかに自覚していた。

         

        ちゃんと3食食べているし、やせ細るどころか、順調に?体重は増えていたし、そんな状況で、栄養が足りないなんて言ったら笑われそうだし…で、自覚はしていたけれど、認めたくなかったというのがホントのところ。

         

        更年期のせいにしてしまおうとしていた部分もあり、「命の〇A」や婦人科で処方してもらった漢方薬を飲んではいたけれど、それで解消した症状もほとんどないまま、ついに更年期ど真ん中、五十を迎える。

         

        そして7月、これもご縁というのだろうか。たまたまの偶然。前出の日野原先生が選んだサプリメントに再会した。まだ若かりし頃に一度出会っているサプリだが、若いからだはそれほど欲していなかったので、すぐにやめてしまっていたもの。なんらかの対策が必要になった今、その抜群のクオリティのサプリメントを選んだ。あわせて妙齢の女性に欠かせないイソフラボンをとるために、プロテイン(大豆由来)も摂り始めた。

         

        飲み始めて1か月を過ぎたとき、あれほど頻繁に起きていた片頭痛や発熱が一度も起きていないこと、常にあった熱っぽさやだるさがなくなっていることに気が付き、久しぶりに会った友人からも「最近、頭痛くなってないね〜」と言われ、栄養不足に気づかないふりしていたちょっと前の自分を大きく反省。食べたものが自分の体を作っているんだからね。ちゃんと食べられないなら、なにかで補わないと。

         

        ということに気が付くのは、つらくなってからというのが大半とは思うが、若いうちからちゃんとしてれば、ここ数年にかけた多額の医療費はいらなかったなぁと思うと、損した気分。

         

         

        JUGEMテーマ:更年期

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

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        posted by: ayabeyumi | ゆらぎのこと | 17:05 | comments(0) | - |
        ゆるいつながりを持つ
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          婦人会主催の研修事業「ゆるっとひろば」は、昨年の9月から月1回程度開催している、町内在住のすべての女性を対象とした研修活動。こんな田舎町でも、やはりご近所づきあいは希薄になっている昨今、防災であったり、高齢化だったり、この地域の抱える問題を、地域で解決していくための最初の一歩として、まずは「交流」からだなと考えてスタートした事業。なので、「婦人会」というくくりにはこだわらない。そもそも婦人会に入る人は、お知り合いもそこそこあって、孤立化していない。むしろ外へ出てきてほしいのは、あまりご近所と交流を持たない、持てない女性たち。私が女性にこだわるのは、自分が女性だからではなく、女性の力なしに、自主防災も高齢化対策もできないからだ。

           

          男性が役に立たないと言っているわけではなく、女性しかできないことが多くあること。平日昼間に男性たちの多くが町内にいないこと。男たちが不在のとき、子どもたちやお年寄りを守るのは、やはり女性の力なのだ。

           

          でっかいことを考えているわけではない。

          でも、まったく知らないのと、1回顔を見たことがあるのでは、気に掛ける度合いは大きく違う。

          女性たちが、「1回くらいは顔を見たことがある」以上の関係になれればいいなぁと、思っている。

           

          今回のゆるっとひろばはこれまででいちばんの大盛況。43人の女性がワイワイガヤガヤおしゃべりしながら苔玉づくりを楽しんだ。思ったより簡単で、あっという間に講座は終わってしまったけれど、テーブルを同じにした人同士、小さくても交流できたんじゃないかと、手ごたえは感じた。

           

          この活動は、婦人会長の任期が終われば私の手を離れるし、次期会長さんが継続するかどうかの判断は、後任にお任せする。なにか別の形で、趣旨を同じくした活動を、地域でできれば、それもまたいいかなと。

           

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          posted by: ayabeyumi | 居場所づくりのこと | 18:17 | comments(0) | - |
          計算は早いが暮らしは見えていない
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            若い人たちはどうなのか?いや、年代よりも個々の資質のなせる業なのか。

             

            結婚当初から、家計は任されてきた。

            わが家はおこづかい制なので、毎月、お給料日のあとで口座から現金を引き出してきて、夫に手渡しというのが通例だった。

            ついに週末にも自宅へ戻れない遠くへ単身赴任することになったとき、カードを追加し、夫が自分で口座からお金を引き出すようになった。

             

            バカまじめなひとだから、余分に必要なときはきちんとことわりを入れてきたし、経費をクレジットカードで支払ったあとの精算を現金でもらえば、その分はおこづかいから引いて引き出す。自分まわりの出し入れにはきっちりしているのに、口座の残高やほかの入出金、つまり家計には無関心の無頓着。

             

            単身赴任が解け、ようやく自宅で暮らせるようになると、それまでついていたかなり高額の単身赴任手当がつかなくなり、家計には大きな痛手だったが、夫が私に言ったのは「手当がなくなるから」とひとこと。(予定よりも1年近く早い帰宅だったため、心の準備もお金の準備もできていなかった)

             

            どうにかなるとか、どうにかしてくれるとか思っていたのだろうか。

            「手当なくなるけど、大丈夫か?」くらいは言ってほしかった。

            全然大丈夫じゃないけれど、自分には関係ない顔をして、淡々と今までと変わらぬ生活をしている夫に、相談する余地もない。

             

            そして12月に定年を迎え、再雇用となると、今よりもっと減る。という事実を告げたときも、「給料が○○くらいに減ります」と報告口調。いや、あなたのおうちの家計のことですよね? これからどうして食べていくのでしょう?

             

            金額をきちんと報告できるのに、その金額に何の危機感も感じないのか。

            感じていてもどうにかなると高をくくっているのか。

             

            私は「食べていけるかどうか?」という切実な問題を、どうすることもできず、ただ不安に思うばかり。

            それでもだんだんと、これは私の課題じゃないと思えてきて、夫が自分で考えるまで放っておこうと腹をくくるのに似た心境の今。

             

            今まで丸投げしてきた家のことを、自分のこととしてきちんと向き合い、考えるときが夫に訪れたのだ。

            これは夫の課題の解決のあと、ようやく夫婦の課題になるのだ。

             

             

             

             

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            posted by: ayabeyumi | 夫婦のこと | 23:48 | comments(0) | - |
            SOHO〜懐かしいワード。
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              まったくの我流で始めたパソコンにはまりすぎて、きちんと教えを乞うこともせず、いつの間にやらウェブ制作を生業とするように。当時はSOHOという言葉が出始めたころで、おうちでパソコンを使った仕事をする主婦が多かった。最初は一歩先行く起業した女性がとりまとめる小さなグループから仕事を請け負う形が主流だったが、そのうち、それぞれが独立し「SOHO」という業務形態で、自宅オフィスで作業をするようになっていた。

               

              作業だけでなく、仕事を取ってくるところから報酬を受け取るまでをすべて一人でやらなくてはならない個人事業主であることを理解できない人たちは、この時点で淘汰されていった。

               

              いうなれば「SOHO」の走り。2000年までくらいか。

               

              そのころ転勤族の妻だった私は、転勤のタイミングが事前に知らされているわけではないので、就職してすぐに転勤を言い渡される可能性がゼロでない以上、企業に就職するという選択肢はないに等しかった。そしてSOHOという業務形態にこの上なく魅力を感じていた。ウェブサイトもたくさん作ったし、メルマガもいくつも発行していた。業務委託という形で。それは高額な報酬をもらえるものではなかったが、ド素人の私に仕事をさせてくれるだけ十分ありがたかった。実際にモノを作り上げる過程で学んできたことは、今も私の財産だ。

               

              そのころの同業者はみんなそうやって技術を身に付けてきたし、互いに学び合ってきた。ウェブ上の掲示板に困ったことを書き込むと、その分野に強い人が的確な解決策を提案してくれる。いい時代だったなぁとつくづく思う。

               

              妊娠、出産、子育て中に、そのときのライフスタイルに合わせて仕事量を調整できる業務形態は悪くない。だが、あくまでも個人事業主、仕事量が減れば収入が減る。仕事を断っていれば、そのうちもらえなくなる。ということも必然である。

               

              そして問題はIT業界は日進月歩。少しのブランクで、技術的についていけなくなる。そこそこ年齢を重ねていればなおさらだ。もはや恥ずかしくて「ウェブ制作」と名刺にも書けない。まぁ仕事としても、ウェブの更新管理が精いっぱいだから、制作は廃業だ。

               

              ケガや病気をしなくても、ただ年を重ねただけでも、できなくなることがあるということを実感できるのは、自分が年を重ねたから。若いときにはわからなかった。仕事がなくなっても、生きるすべはあるだろうと高をくくっていたが、それもどうやらなさそうだ。あのころ予想していた未来とこんなにも違う世の中になっているなんて、バブルも経験し、安心して老後を迎えることもできない近い将来を経験する私たち世代は、なんともふり幅の大きな人生を生きているんだな。

               

               

               

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              posted by: ayabeyumi | お仕事のこと | 21:21 | comments(0) | - |
              やってよかったと思える瞬間
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                月に1度のふれあいサロン。社会福祉協議会の事業で、わが校区では先月オープンしたばかり。

                 

                今回は前回の参加者の声を反映し、☆コーヒー・紅茶の提供とは別に、声をかけていただければお水をお出しできるように、☆カップを直前に温めて、熱々の飲み物を提供できるように、少しだけれど、改善を加えた。

                 

                水の提供やカップの温めなど、喫茶店なら当たり前のことと思うが、福祉事業であり、営業許可をもらっているわけでもなく、ド素人がボランティアで運営しているため、けっこう厳しめの制限の中での工夫が必要になるのだ。

                 

                ただ5人のボランティアは少数精鋭。これまで様々な場面で、リーダーとしてやってきた人ばかりなので、1度要領を覚えれば、2回目は特に指示もなく、各自が準備を進める。テーブルを並べるところから、30分でお客様を迎える準備が整う。

                 

                 

                今回の参加者は前回からのリピーターさんあり、そのお友だちを伴われてこられたり、ひとりでは心細いからと、初めてのかたばかりが連れ立ってこられたり、人数は前回とあまり変わらないものの、皆さん、話に花が咲き、長い時間をここで過ごしていかれたため、終始賑やかで、和やかな雰囲気。

                 

                 

                 

                 

                お一人で暮らしていらっしゃる方からは、こういう集いの場が欲しかったと、うれしいお声をかけていただき、帰り際には「来月も来るよ」と高齢の男性が笑顔で手を振ってくださる。

                 

                なにかボランティアの事業を始めるたびに、自分の首を絞めているような気になるものだが、こうして喜んでくれる人が一人でもあれば、やってよかったと思えるし、誘った友人たちとともに喜びあえる。

                 

                やりたいと思ったらやってみる。

                気軽に。

                 

                人生、とっくに折り返しちゃった今なら、案外簡単に一歩踏み出せる。

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                posted by: ayabeyumi | 居場所づくりのこと | 11:01 | comments(0) | - |
                情報を選別する力
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                  数年前のこと。

                   

                  その当時、最も仲のよかった友人の議員さんが、自分のFacebookで引用していたデータが、その議題を論じるには適当なものでないとやんわり指摘したところ、彼女の支援者たちから猛烈な勢いでコメントがついた。彼女の言うことに間違いはないと、私を「荒らし」扱いして汚い言葉で攻撃を受けた。

                   

                  ど素人の私がさらっと見ても適当ではないとわかるデータを引用して、自分の考えを正当化するやり方は、自分で自分の首を絞めることになるのでは?と、彼女の身を案じてのことだったが、多くの支援者が、彼女の言葉を鵜呑みにして、自分で検証して判断しないことにも、大きな不安を感じた。そういう人たちに、いつか彼女が足をすくわれるんじゃないかと。

                   

                  結局、彼女は私を排除することでことを収束させ、私には濡れ衣を着せて仕事を奪い、縁を切った。

                   

                  今さら、そのことをどうこう言うつもりはないが、このところ、あるワードを検索していて、ネット上に「適当でない」情報があまりに多くあふれていることに、その過去の出来事を思い出してしまったのだ。

                   

                   

                  検索すれば、簡単に情報は得られるが、そのすべてが正確で有用なモノとは限らない。となると、その中から、事実を見つけ出す作業、技術が必要になる。なんとなく、同じことを言う人が多いほうが正解のような気がするが、うわさがうわさを呼んで多数の意見になってしまっていることは多く、多いほうに流されるのはとても危険である。批判であったり、非難であったり、ひとはそちらのほうがおもしろがるので、多数派になりやすい。人と同じであることを「美徳」とする文化が根強い日本では、そうしていたほうが波風立てず、心地よくいられるが、それはもしかしたら事実から目を背けていることになるかもしれない。

                   

                  「口コミ」が最も信頼できるように言う人がある。おいしいケーキ屋さん、リーズナブルな居酒屋なんかは、実際に食べた人、行った人の生の声が聞きたいものだ。それで失敗したってたかが知れているから、信用してチャレンジするのも一興だ。だが、自分の人生を左右するような重大なことは、まずは「公式」のものを最も信頼できる情報として位置付け、その中で疑問が出れば、友だちに聞くのではなく、公式の窓口や専門家に尋ねることだ。的外れな相手に質問を投げかける光景はけっこう見かける。

                   

                  なんだか面倒くさいことをつらつらと書いてしまったが、だれでも手軽に情報発信できる時代だからこそ、受信するほうは手軽にではなく、慎重に情報を選別していかなくてはならない、ということを、「パソコンの先生」としては、お伝えしていかなくてはいけないなと思うのである。

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                  posted by: ayabeyumi | 日々のくらしのこと | 23:32 | comments(0) | - |
                  10年後の自分のために
                  0

                    PTAの役員も、子供会も、少年団のお世話も、いつも喜んでさせていただいてきた。昨年からは婦人会の会長をさせていただいたおかげで、地域全体のことにも、関わる機会をいただいた。

                     

                    そして始めたのが「ふれあいサロン」。

                     

                    お年寄りから赤ちゃんまで、どなたでも参加できる交流の場なのに、なぜか、高齢者が参加するものととらえている人が圧倒的に多い。百歩譲って、そういうものとしよう。

                     

                    あなたは今現在、高齢者ではないかもしれないけれど、10年後もそうですか?

                     

                     

                    あなたは今現在、障がい者ではないかもしれないけれど、10年後も今と同じように自由に動けていますか?

                     

                    今、福祉に関わる人たちの中にも、自分が高齢者ではないから、障がい者ではないから、困っている人たちの力になりたいと考えて動いている人たちがいる。その中にも、どちらかというと、上から目線の人がいて、げんなりすることがある。自分はそちら側の人間ではないと思っていることが、言葉の端はしに感じられることがある。

                     

                    誰だってもれなく年を重ねるし、誰にだって加齢とともに不自由なことは出てくるし、ある日突然そうなる可能性があるのに。

                     

                    私のいろいろな活動を、「えらいね」「すごいね」という人があるけれど、やってることはだれのためでもない。10年後の自分のため。だれかにほめてもらえるようなことではない。10年経ったとき、いくらか衰えていたとしても、そのとき自分が安心していられる場所があればいいと考えたり、もし10年後、車にも乗れなくなっていたら、買い物も行かれないなぁと思ったり。少子高齢化が進むこの田舎町で、年をとっても、体が不自由になっても、安心して暮らせる町であるためには、今、自分でそんな街づくりを進めていかなくてはならないんだと、思っているだけだ。

                     

                    少し高齢者に近づき、不便が何かを感じられるようになり、でも、まだまだ動ける今のうちにやっておかねばならないこと。

                     

                     

                     

                     

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                    posted by: ayabeyumi | 居場所づくりのこと | 23:50 | comments(0) | - |
                    老後はいつやってくる?
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                      こんなはずじゃなかったと思うことが多すぎて、これまで「なんとかなるわ」とのんびり構えすぎていたことを深く後悔する。

                      でも、こんなはずじゃなかったと思うことは、そこへ来ないとわからないことで、のんびり構えていなくても、どうにかできたのか?と問われれば、また違う意味で「こんなはずじゃなかった」と言っているんだろうな。

                       

                      私たちの親世代は、まじめにコツコツ定年まで勤めあげれば、お気楽な年金生活が待っていたわけで、しかもその節目に退職金を受け取り、一時的であれ、豊かであったのに、今や、定年は変わらないのに年金の受け取り年齢は上がるわ、再雇用で仕方なく会社が雇ってくれても、仕事量が変わらないのに、給与は半額以下とか。

                       

                      移行期だからだろうか?

                      私の子どもたちの年代になったら、老後に希望が持てる時代になっているのだろうか?

                       

                      いや、老後っていつ来るんだろう?そのうち「老後」という言葉が死語になるんじゃないか。

                      死ぬまで働けって言われているような気がするのは私だけだろうか?

                       

                       

                       

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                      posted by: ayabeyumi | 日々のくらしのこと | 23:43 | comments(0) | - |